オードリーヘップバーン
オードリーの若林と春日は
なぜオードリーになったのか?
2000年4月、事務所主催のライブに「若林春日」で参加
しようとするものの「コンビ名がないと参加できない」
と言われ、春日がその場で思いついた「ナイスミドル」
というコンビ名でのデビューを余儀なくされる。
2002年、『桂芸能社ポンッ!』(TBSテレビ)に採用されたVTR「輪から
出ない男」に出演。VTRの内容は床に置かれたフラフープの輪に入った
春日へ、若手皆で(ビックスモールンなど同じ事務所の芸人も参加して
いる)「熱湯鉄砲」で集中攻撃をしたり「松明」で背中を炙ってどこまで
輪から出ないで耐えられるかという、若手芸人ならば一度はチャレンジ
するようなギリギリのリアクション芸であった。このVTRを見た当時の
若林の彼女からは「お願いだから普通に就職して」と懇願されたという。
2005年4月、コンビ名を現在のものに改名。これは事務所社長の松田英夫
から「うにいくら」「オードリー」の2択を迫られ、その場が寿司屋で
あったこともあり「うにいくら」は社長の思いつきと判断。そのため
「オードリー」に決定した経緯を持つ。社長は「華が無い2人なので、
華のあるオードリー・ヘップバーンから採った」としている。
返信する