聞きしに勝る美貌。〜60年代


▼ページ最下部
001 2014/02/16(日) 15:05:19 ID:R5njXjYm9s
化粧方法とかヘアスタイルの歴史的変遷等あるが、それらを踏まえても60年代前後
には驚くほどの綺麗な女性たちがいた。
まずは富士真奈美。

返信する

002 2014/02/16(日) 15:20:34 ID:blfxj6Ui4Y
確かに

返信する

003 2014/02/16(日) 17:25:59 ID:nTbdDrGTJQ
ドロンもいい

返信する

004 2014/02/16(日) 18:33:36 ID:R5njXjYm9s
月丘夢路
宝塚歌劇団出身。当時眉目秀麗な女性たちが集まる中においても、あまりの美しさに
他の劇団員からかなりの妬みを持たれ壮絶ないじめを受けた。

ちなみに後の朝丘雪路も同様のいじめを受けたが、こちらはその裕福なお嬢様育ちが疎まれたからだそうだ。

返信する

005 2014/02/16(日) 18:55:29 ID:R5njXjYm9s
若尾文子
その艶やかな美貌は海外でも人気がある。

学生時代地元球場でカキ氷売りのバイトをしていたとき、彼女の美貌が口々に評判となり
彼女見たさの男性達でスタンドが満杯になったという逸話がある。

返信する

006 2014/02/18(火) 21:24:30 ID:rk7tK.UOOA
淡島千景
宝塚歌劇団屈指の娘役女優。
その可憐な容姿に手塚治虫はぞっこんだった。

その中で数少ない男役での立ち姿にインスピレーションを得た手塚が後年「リボンの騎士」
を描いた事はあまりにも有名な話。
ちなみに私が邦画好きになったきっかけとなったのが森繁久弥と競演した「夫婦善哉」だった。

返信する

007 2014/02/18(火) 23:02:30 ID:rk7tK.UOOA
桑野通子
戦前邦画界におけるトップ女優
容姿おける評価は人それぞれといった感があるが、その垢抜けた雰囲気は当時においては
稀有な存在であった。

上原謙(加山雄三の父)との恋愛において小桜葉子の政治力に破れて彼を奪われてしまった
そのあてつけか、森永製菓勤務時代(スイートガール・・宣伝娘ね)に知り合っていた男性
の子を儲ける(男性は既婚者)。

戦後、出演した作品は僅か2作品。
2人目の子を宿しながらの映画出演でラスト1カットを残して倒れ、子宮外妊娠の手術中、出血多量を起こして死亡。
1人残された娘は女優の桑野みゆき。彼女は男に翻弄されながら非業の死を遂げた母のこと
を思ったのか、自身結婚後すっぱりと女優業から引退した。

返信する

008 2014/02/26(水) 19:00:57 ID:890GjI3f.I
八千草薫
邦画界屈指の清純派女優 大阪府出身

日本の美人女優ランキングで必ず上位にランクインする。
「残菊物語」「ガズ人間第一号」「宮本武蔵三部作」辺りが美の頂点だったと思う。
特におつう役は彼女以外誰も出来ないと断言する。

清純派とはいえ、その長い女優歴の間には面白い役柄を演じた例がいくつかある。
「美しさと哀しみと」加賀まりこと競演。レズビアン映画
「悪名無敵」関西弁丸出しの売春婦役

返信する

009 2014/03/01(土) 00:39:15 ID:KCgR/oM9ao
松原智恵子
日活青春映画で活躍した女優
潤んだ瞳が印象的な清純派女優。同年代の日活若手女優たち(和泉雅子、吉永小百合)
と併せて日活三人娘と呼ばれ人気を博した。

3人の中では年長者で吉永とは同じ戦前生まれである(吉永45年3月、松原45年1月)
兎に角大きくくりっとした目元とふっくらとした面差は、まるで人形のような可愛らしさ
があった。
実際67年度のブロマイド売上においては他の美人女優たちを押しのけてNO1に輝いている。

純情可憐な顔立ちでも性格は結構問題アリという女優は多々いるが、彼女の場合、
このようなエピソードがある。

若手の頃、当時日活所属だった長門裕之の邸宅に俳優仲間らと遊びに行くことになった。
彼女は女優仲間である浅岡ルリ子と一緒にお邪魔して遊んだそうだが、そんな中長門が
お客たちを喜ばす為に密かにストリップダンサーらを呼んでそこで派手に踊らせた。

男性俳優は当然大喜びだったが、数少ない女優連中たちは、そのあまりのハレンチさに
驚き、顔を伏せてしまった。
長門が浅岡、松原たちに”どうだい、面白いだろ”と声をかけたところ、彼女らは
”女性のアソコがあんなふうになっているなんて初めて知った、驚いた!”と言ったそうだ。

ウブにも程がある、といったお話でした。

返信する

010 2014/03/05(水) 10:28:17 ID:6we/V5VTJc
ま、今と違い整形してない自然美だから凄いわな

返信する

011 2014/03/05(水) 14:33:25 ID:BwFx0hx1k.
山本富士子
この人も大阪出身。
初代ミス日本受賞者。昭和を代表する美女(”あなたが思う美男美女ベスト20”という
アンケートで圧倒的支持を受けて1位に選出される)

富士子は本名。日本一の富士山と掛けて日本一の美女と称される。
また当時の新品種林檎に日本一の美味さと品の良さを表す意味で”ふじ”と命名されのも
富士山と山本富士子にあやかっての事だった。

ちなもにミス日本選出の際には、審査員一同満場一致で決まった。
しかもその時間はほんの僅か。あっという間に決まったという。

古賀政男の弟子で古賀丈晴と結婚したが、その前には俳優・北原義郎と恋人関係にあった。
この北原も二枚目だったが、後に時代劇における悪役を数多く務めることになる。
興味のある方は一度検索してください。ああこの人ねと判りますから。

昔の悪役俳優もかなりの男前が揃っていたんですよね(笑)

返信する

012 2014/03/05(水) 20:19:07 ID:BwFx0hx1k.
香川京子
一見地味に見えるが、よく見ると洗練された品の良さと爽やかな笑顔が印象的な女優である
カメラを通して見るとそれが良く判るのだろう。
事実、戦後巨匠と呼ばれる映画監督たちからのオファーが絶えずあった。
有名な五社協定の前だからとはいえ数々の名作に出演していたことからもそれが判る。

私としては一番印象に残る映画は「ひめゆりの塔」である。
ラストで死んだ香川を担ぐ岡田英次に向かってアメリカ兵たちの容赦無い射撃で無残に
撃ち殺されるシーンが忘れられない。

返信する

013 2014/03/08(土) 00:15:46 ID:mM/3eeJyWw
酒井和歌子
青春スター女優。
11歳子役デビューなのだがそんなイメージは薄い。
むしろ同期の内藤陽子の方がアイドル女優としての印象が強い。
とても可愛らしい容姿なのだが、どこか陰のある面差に見えるのか映画でも脇に控えてい
る役が多かったのが原因だと思う。
人気のきっかけは夏木陽介主演の青春学園ドラマシリーズで爽やかな女子高校生を演じてからだ。

萩本欽一の永遠のマドンナである。
リカちゃん人形のモデルでもある(ちなみに全部ではなく容姿は吉永小百合と足して2で割ったというのがタカラトミー本社の回答)

ちなみに「飛び出せ!青春」では本倉先生役で出演していたが当時22,23歳の頃で大学生ぐらいの年齢であったが、とても落ち着いた雰囲気の役柄だったせいか、もうちょっと
年上かなと思って観ていたが、まさかこんな若いとは思わなく、知った時には大変驚いた記憶がある。

返信する

014 2014/03/13(木) 23:59:48 ID:lP7vfxEkv6
水野久美
怪獣・特撮映画女優
クールビューティを地で行く容姿である。
東宝専属だったこともあり特撮・怪奇映画に数多く出演した。
大のジャイアンツファンである。新潟出身で馬場正平とは若い頃からの友人である。

映画「怪獣大戦争」では共演のニック・アダムスから何度も求婚されているが、それは
映画内でニックとのキスシーンがあったのだが、それがかなり濃厚でまるで糸を引くような
キスを交わしていることから、自分に奇があると勘違いして上記の様な行動に出たと
思われる。

返信する

015 2014/03/16(日) 00:32:06 ID:zLi65.pUZk
野川由美子

山猫のような野性的な雰囲気が漂う。
一目見たら、すっと脳裏に焼きつくような印象は、その独特な目元にあると思う。
父親が中国人だからか大陸的な柔らかさも持ち合わす容姿である。
故にか明朗快活な役柄が結構多い。
デビュー間もない頃に主演した「肉体の門」では当時としてはかなりハードなシーンが
多かった。この時彼女は20歳。

返信する

016 2014/04/16(水) 15:41:21 ID:ROLwdEBXu6
園まり

反論は許さない

返信する

017 2014/04/17(木) 19:29:01 ID:DAh69bboVI
藤山陽子

返信する

018 2014/04/25(金) 01:06:06 ID:/lAolvjqWM
吉永小百合
云わずと知れた戦後における最高美人女優。
15歳で映画デビュー後現在も邦画界の第一線で活躍。

世の男性たちが持つ女性へのあこがれを全て具現化した永遠の美女。
涼やかな顔立ちに親しみ溢れる笑顔。
清らかで誰にでも優しく健気、素直なイメージの役所を演じて世の男性たちの心を掴んだ。
やや面長な顔立ちであるが、目鼻立ちの比率が良いせいかあまり気にならない。

だが彼女の素顔はそれとは真逆の自分の本能のままに行動する女性である。
今風に云う「肉食系女子」である。
彼女は気に入った男性に対しては積極的にアプローチを掛けていた。
その中の1人「渡哲也」だけは深く真剣な交際へと発展。
一時は結婚引退も辞さずという姿勢を貫こうとしていたが、家族、会社からの圧力
に屈した形で破局となってしまった。

しかしながら渡哲也・渡瀬恒彦兄弟は凄い美人に惚れられるモテモテ兄弟である。

さて容姿についてであるが、
写真家の秋山庄太郎が吉永小百合評として「怪物」の一言を残している。
秋山は彼女の10代から40代において一貫して撮り続けていて、その表情の変化が
ほとんど無い事を理由としている。
肉体的変化は当然あるがそれは加齢によるのもあるが大半は内面的である精神面での
変化が大きく作用される。
生活環境面での変化がそれを決定付けるのだが、それがまったく表情に表れていない
のが秋山をして怪物と評したのだと考える。

個人的には彼女のピークの美しさは30代前半
「皇帝のいない八月」「肉体の門」に出演していた辺りである、と思っている。

返信する

019 2014/05/21(水) 13:26:34 ID:RSYg6WYWxE
藤純子

大阪府出身。命名はマキノ雅弘監督
以後、藤純子→寺島純子→富司純子(すみこ)と変換して現在に至る。


可愛らしさと男らしさが合わさった特異なまでの雰囲気が印象的。
その因は彼女の瞳であろう。儚げに惑いながらまるで何かにすがる様な妖艶な光を帯びた
色気のある瞳から一転力強く相手を射抜かんばかりの目力溢れる男前な瞳への落差が
そう思わせるのだと思う。

任侠映画で見せる気風のいいセリフと大上段から見せる刺青姿は実に妖艶でカッコイイ。
当時まだまだ肌を見せるには抵抗があった時代だが、彼女の肩口から見せる刺青姿には
いやらしさなど微塵も感じられなかった。
ちなみにこの肌見せのアイデアは実父でプロデューサーである俊藤浩滋だった。

この父親のお蔭でスターになった。と同時に東映にいた男性俳優たちからの魔の手からも
逃れる事が出来た。

藤純子の美しさと可憐さが前面に出た作品がNHK大河「源義経」での靜御前役であった。
共演した尾上菊五郎の義経との恋愛シーンはまさに御伽草子から抜け出たかのような美しさ
があった。

返信する

020 2014/06/23(月) 19:13:38 ID:gcByikii92
久我美子
旧華族で平田昭彦夫人

返信する

021 2014/07/27(日) 12:46:34 ID:WpxPZorbxg
若尾文子

返信する

022 2014/07/30(水) 22:21:10 ID:YpDAsN2Hzg
このスレはちょくちょく見に来る。
続けてくれ。

返信する

023 2014/08/01(金) 21:49:57 ID:TjBbCLWItA
佐久間良子

題名の通り、まさに「聞きしに勝る」美女である。
分厚い線で描かれた油絵のような肉感的な美貌である。

彼女の美貌に関する伝説は数多くあるが、その大半は映画関係者たちの証言から成る。
東映ニューフェース4期生として映画界に入るが、当時入社審査において水着になるのを
拒否しながらも補欠で合格(普通はありえない)
同期生としては室田日出男、山城新伍がいるが、彼らやその先輩連中のお目当ては
佐久間オンリーという状況だったが、”こんな美女が易々と自分の女になるはずはない
だからNO2を狙う”と言い放った山城は同期の花園ひろみをゲットした。

新人としての映画出演は自分が見た記憶としては警視庁捜査一課の活躍を描いた作品
で被害者の友人役で僅か10秒程の出演だったが、その映像からは一発で本人だと判る
ぐらいに目立っていた。
そして撮影においては数多くの男優からの視線に晒されていた。

ある映画のロケで、ある部屋の前が女優たちが入る風呂場があった。
ひょっとして佐久間の入浴、もしくは風呂上りの姿が見れるのではないかと、
その部屋にあったマッサージ機に陣取って、数千円の投資をして待ち構えていたと
八名信夫は証言している。

彼女の代表作といえば「五番町夕霧楼」がある.後に松坂慶子でリメイクされるが、
哀しくも愛らしい娼婦の姿を見るにつれ、やはり佐久間良子の方に軍配を上げたい。

現在まで数多くの作品に主演しているが、中でも"近親相姦”を匂わす作品に多く出ている
のは意外といえば意外である。

返信する

024 2014/08/04(月) 22:49:03 ID:7dzDCvmq2o
久我美子

戦後・50年代を代表する清純派女優。
「久我美子」を普通に読めば”くが・よしこ”だが、本名は”こが・はるこ”と読む。

名家の出身であり家の窮乏を救う為に映画界入りしたのだが、この名家というのも
他とは比べ物にならない程の名家で古くは平安時代初期から続く村上源氏の流れを汲む
家格第二等ともいうべき「清華家」筆頭という「久我(こが」家」だ。

実家の経済的窮乏を打開するためとはいえ、やくざな世界に身を投じるというのは
世間的対面が汚されると言う事で一族総出で反対をしたが、彼女がどうしてもやるという
意思を変えなかったため、実家を出て名前を変えるというのを条件に女優業に就くことを
認めたという。

深窓のご令嬢でもある彼女は真面目、礼儀の正しさがある一方で明るくて気さくな性格
も相まって製作者たちの評判も良かった。
勿論、その容姿は、それまで日本画に出てくるような端正な顔立ちが当然と云われていた
映画女優のイメージを一新させる新鮮さがあった。(男性的な太い眉に八重歯が印象的)

返信する

025 2014/08/04(月) 23:01:44 ID:7dzDCvmq2o
久我美子 2

映画ファンによる年代別にそれぞれの青春時代を彩った女優を選ぶアンケートでは、彼女は
1950年代において第一位に選ばれた。(40年代・原節子 60年代・吉永小百合 70年代・
山口百恵)
久我美子の名を一躍有名にしたのは、映画「また逢う日まで」での岡田英次との窓ガラス
越しキスシーンだろう。
当時は映画でキスシーンというとみなカメラを引いて撮っていた。
これは誰もキスの仕方がよく判らなかったという事と、女性からすると人前で異性とキスを
するというのは、凄く恥ずかしいことであり、貞操の危機と思うぐらいの辱めと思われて
いたからはっきりとは見せられなかったというのがあった。

事実、日本映画史上初のキスシーンを演じた大坂志郎の相手役の女優は唇にセロハンテープ
を幾重にも貼り合わせて演じ、実家には、まるで遺書めいた覚悟の手紙を送っていた
そうだ。またGHQの指導の下でキスの仕方を講義する対策も行われており、安部徹などは
”キスの仕方を初めて見て、こんな凄い事をするとはと驚愕したもんだ”と語っている。

そこで「また逢う日まで」に話を戻すと、そのキスーシーンでは窓ガラスを間に挟んでは
いるが、しっかりと唇同士を重ねるシーンがクロースアップされて映し出された。
当時としては驚愕的内容である。
久我の親族たちは全員卒倒したのではないだろうか?(笑)  

返信する

026 2014/08/05(火) 22:02:19 ID:2KaYIVTWbw
いつもありがと。

昔の女優は美しいね。

返信する

027 2014/08/06(水) 22:04:33 ID:Kmr1O.ddKM
京マチ子

佐久間良子以上の肉厚的美女。
昔から可愛くて美しい娘に対して「〜似の美女」という形容詞を付けられるが、
それらの女優に形容される程の美女たちは多々いたが、この京マチ子だけは似ている
と形容される程の女性は皆無だと言えるほどに特異な容姿・雰囲気を纏っていた。

一目、大陸から来たと思えるほどにオリエンタルな雰囲気が漂っているが、
実は大阪府大阪市生まれ、生粋のナニワ生まれの日本人である。

この特異で妖艶な風貌のおかげか、国際映画祭では次々と賞を勝ち取る程に世界的評価は
高まった。
もちろん女優的資質にも長けていて、映画「羅生門」において、まだキャスティングの段階において積極的に監督である黒澤明に直談判したという。
(黒澤を喫茶店に呼び出し、眉を剃り落とした顔を見せて、自分こそがこの映画のヒロイン
にふさわしいとアピールした)

国際的な評価も得た美女だが、アメリカ映画「八月十五夜の茶屋」にて若き頃の
マーロン・ブランドと共演したが、彼は京よりも清川虹子に対して積極的なアプローチ
を行ったとか・・・好みは人それぞれだが、こんな事もあるのですね(笑)。

なお、彼女は大映時代にミュージカル映画「黒蜥蜴」(三島由紀夫戯曲版)で主演した
が、彼女こそ黒衣を纏った緑川夫人そのものだと思っている。

返信する

028 2014/08/21(木) 16:16:57 ID:YIf92tu/Pw
>>27
御高説ごもっとも、素晴らしい「アジアン ビューティー」ですよね。

返信する

029 2014/08/22(金) 21:45:39 ID:DzM2AVJs9w
熟女三人組で香港旅行する旅番組で

香港の人が麻丘めぐみの若いときのレコードジャケットの
写真みて目がまんまるになってた

あの頃はかわいかったね。巫女さんの役目でTVでてたな
「恋は大吉」って番組で

返信する

030 2014/08/22(金) 21:47:54 ID:DzM2AVJs9w
写真忘れ

返信する

031 2014/08/22(金) 22:47:48 ID:8aw1pBjnvE
麻丘めぐみは'70代でしょ

返信する

032 2014/08/26(火) 13:25:55 ID:icU2qEGIpE
浜木綿子

初見で容易に読める名前ではない。(はまゆうこ)
チャキチャキとした江戸っ子口調の通り東京目黒出身。だが育ちは大阪豊中。

写真を見れば一目瞭然だが三毛猫みたいなまん丸な輪郭に玉のような瞳が印象的。
息子の香川照之もデビュー当初は母親似の顔立ちだったが、年齢を重ねる度に父親である
三代目市川猿之助そっくりになっている。

宝塚時代はトップ娘役にあって寿美花代(高島正伸・母)ら人気男役を相手に人気を博す。
彼女はただ単に美人であってそして実力があってトップスターになったのではなく、
絶え間ない営業努力も大きな原動力としてあった。
宝塚時代ではいつでもどこでも演出家たちと顔を合わせると、次回作はなんだ、その話なら
私はこの役が似合う、故に私を配役の中に入れて、と根気良く懇願して回ったとそうだ。
劇団を卒業し本格的に芸能界に進出してもその姿勢は変わらなかったという。

上記のような姿勢は八千草薫との対比としてよく語られるそうだ(元・宝塚劇団重役談)

私個人としての彼女の代表作はというと「ぶらり信兵衛 道場破り」であろう。
芸者こぶね役はまさに絶品。当時38歳とは思えないほどに若く艶やかで可愛かった。

返信する

033 2014/08/27(水) 14:21:42 ID:2IIJTU//VQ
入江たか子

30年代における人気NO1女優。
当時のキャッチフレーズは「金星から来た美女」

本名東坊城秀子。
この名の通り華族出身(子爵家)のお姫様女優。(ちなみに第一号)
洋風な容姿、抜群のプロポーション、気品に溢れた所作で30年代では比類なき人気を
博する。プロマイドの売り上げでも田中絹代を凌いで一位を保持していた。

彼女はただ単に映像で笑顔を振りまきながら男たちに媚を売るような演技をしていた
人形女優とは違って、男顔負けの行動力と商才も持ち合わせていた。
初の女性による映画プロダクション設立を果たすなど、その立場は一女優の枠を超えて
当時の男性俳優たちのあこがれと尊敬を一身に集めていた。

片岡知恵蔵は真剣に彼女との結婚を望んだが結局果たせなかったのは有名な話である。
その高い演技力は後に「化け猫」映画で再び人気を得る。

私自身この方の全盛期の映画を見る事は無かったが、唯一、61年製作の「椿三十郎」
で観る事が出来た。それまで長年病気の事もあって久しぶりに映画界に復帰した際に
出た作品で、彼女はおっとりとした性格で躍動的な三船とは対照的な演技を見せた。

画面には往年の美しさは最早無かったが、品のある家老の奥方というイメージには
ピッタリと嵌っていた。

返信する

034 2014/09/19(金) 08:33:00 ID:8FK2Hs8812
佐藤友美はまだぁ?

返信する

035 2014/09/19(金) 08:35:55 ID:8FK2Hs8812
あ、あとギリで横山リエもね!

返信する

038 2014/11/24(月) 08:02:13 ID:bhMRJednrs
てつこさん〜☆

返信する

039 2014/12/09(火) 20:17:24 ID:7mnGV93/0U
浜美枝

ご存知日本人初のボンドガール(映画007シリーズ)。
身長164cmではあるが、英亜像映像を観ると、もっと上背がありそうに見える。
それは小さい身体にの割りに手足が長いからであろう。

抜群のスタイル。
バスガールをしていた頃、このスタイルの良さで東宝の関係者に見初められ本人の
意思とは関係無く、会社間同士の話し合いでトレードされる格好で映画界入りする。

容姿のほうも、ぱっと見、日本人離れした雰囲気を醸し出しているが、生粋の日本人
である。
国際的にもタメを張れるセクシー派女優のはしりである。

かつてタレントの島田紳助が自身の番組で女性アシスタントを選ぶオーディションを
行った際に当時新人モデルだった藤原紀香をひと目見て、
「国産車の中にフェラーリがおる」
と言って採用決定した話が有名であるが、タイプこそ違え、浜もまるで豪華な外国車のような輝きを誇っていた。

彼女自身は女優という職業には余り欲が無く、世界的見識を深め、自然環境がテーマの
コメンテータになりたいと語っているが、私自身はそうは思っていない。

24歳の時、海外版プレイボーイ誌にヌードを発表しているが、これは本人の意思ではなく
事務所スタッフ側との軋轢があった際に半分騙される形でのヌード写真発表となったそう
である。
女優業としてかなりの成功を収めていた彼女が自ら女優業を辞めたいという話などするのは
そういった敬意があったからであろう。
実際、写真発表から3年後に東宝との専属契約は解除されている。
女優引退は90年代初頭。心のキズは大きかったのだろうと推察する。

返信する

040 2015/01/08(木) 21:59:57 ID:3HrYEqAx8U:au
>>38
それゃ鈴木その子や。

返信する

041 2015/04/22(水) 04:31:06 ID:f9C9ziWV9Q
久我美子3

返信する

042 2015/05/02(土) 09:34:54 ID:H2yFYj8GhQ
栗原小巻1

返信する

043 2015/05/17(日) 10:20:42 ID:6O6dxNWJNQ
栗原小巻2

返信する

044 2015/09/13(日) 10:47:20 ID:iASFY0F3EM
栗原小巻3

返信する

045 2015/11/21(土) 17:34:04 ID:AF0eE7YW.E
宮園純子1

返信する

046 2015/12/02(水) 00:28:51 ID:umxVHmZ/Gs
渡辺はま子

返信する

047 2015/12/08(火) 14:26:14 ID:wiUWWHAYL2
高峰秀子

「正統派映画女優」
キネマ旬報「オールタイム・ベスト日本映画男優・女優」で女優部門で1位に選ばれる(男優部門1位は三船敏郎)。
本人自身の個性だけではなく演技力で百花繚乱の様々な役を演じた大女優。
子役から始めたキャリアでこれだけの成功を収めたのは彼女唯一人だ。

彼女は様々な人たちから愛された。
五所平之助・東海林太郎・黒沢明・藤田まさと・・・
五所と東海林は養女に欲しかったらしく、特に東海林などは決して手元から離さなかったらしい。
理知的な顔立ち、整った目鼻。
人を惹きつける笑み。
正統派美女の代表格であると思う。

返信する

048 2015/12/08(火) 14:53:57 ID:wiUWWHAYL2
渡辺はま子

戦前〜戦後に活躍した歌手。
当時としては派手な顔立ちは祖父がアメリカ人で彼女自身はクオーターであるが由縁である。
歌手になる前には地元横浜の女学校で音楽教師を勤めていた。
その派手な美貌からか女学生からの人気が凄かったらしい。

彼女の初期の代表曲に「忘れちゃイヤヨ」というのがあるが、歌詞の中の〜ネエという言葉がエロいという理由で発禁になっている。
ちなみに最近ドラマにもなった「モンテンルパの夜はふけて」という曲がある。
フィリピンにおける戦中の戦闘行為においての裁判で死刑囚となった人たちが作った曲「モンテンルパ〜」を持って彼らのために慰問コンサートをするのだが
当時渡航するだけでも大変な時代(国交無・渡航費用莫大)なのに、それがなぜ実現したか?
それは当時の大物政治家・岸信介が資金・渡航手続きの全てを引き受けたからであった。(この事実は最近判明)

返信する

049 2015/12/17(木) 19:10:29 ID:RpK21j6s/.
岡田可愛

大阪市出身。経済的困窮の為に東京・吉原に転居。
困窮した環境にいた幼少期から培った苦労性があってか青春ドラマにおける撮影では皆勤を成し遂げた。
生活費を稼ぐ為に必要のないシーンを頼み込んで無理やり作ってもらったりもしたそうだ。

影を帯びた表情など皆無といってもいいほどの快活な顔立ち故か、お転婆で明るい女学生というイメージが強い。
「サインはV」が代表作だが個人的には「おひかえあそばせ」で演じた新米新聞記者役が気に入っている。

実際学生時期にこんな女子学生がいたら男なら誰でも夢中になるだろうと思う。

返信する

050 2016/01/27(水) 09:37:39 ID:BSuD6NToao
野添ひとみ
水曜スペシャル探検隊シリーズで有名な川口浩隊長の妻。
日本映画の黄金期を彩った華麗なる映画人家族だが
彼女の義父である川口松太郎は食道がんで85歳に、義母の三益愛子は
すい臓がんで71歳に、夫の川口浩は食道がんで50歳に、そして本人も、
甲状腺がんで58歳の若さで亡くなっているんですね。さらに次女の薫さ
んも17歳のときに血液のがんである「血小板減少性紫斑病」で亡くなっ
ている。

返信する

052 2016/01/27(水) 21:24:41 ID:PVcDxO0chc
岡田茉莉子

とにかく一も二もなく目の大きさが印象的な人。
彼女の両親は両方とも芸能人(父、映画俳優。母、宝塚女優)
その三毛猫のような顔だちは私ごのみ。

昔気質の性格からか現在の若手女優らをモデルと呼んで認めていない。
彼女を初めて観た作品は「人間の証明」。
アメリカ兵らの集団暴行シーンで強引にズボンを引き脱がされる場面では
子供心にかなり興奮した記憶がある。

返信する

053 2016/03/15(火) 21:50:50 ID:rqbvQIZ6Gs
轟夕起子

宝塚少女歌劇団出身。
長門裕之・津川雅彦の母方の親族に当たる。
画像を見れば即座に良妻賢母のイメージが浮かぶ、実にふくよかな容姿である。

この方も宝塚時代において月丘夢路と同様のいじめに遭っている。
軍隊と同じく厳しい規律が存在する歌劇団において、当時声楽科に在籍していた頃、ある時舞台での代役が急遽決まった。
その役は同じ組の先輩が務めていたのだが会社側からの命で轟に代わるよう指示が下った。
だが、その際舞台で歌わなければならない曲の楽譜を彼女のために用意はされておらず、轟はその先輩から楽譜を借りる羽目になったため
先輩の部屋に出向いて貸してもらえるよう頼んだが、その先輩は轟の目の前で、その楽譜を破り捨てた。
その際”どうして役を降りると言わなかったのか”と捨て台詞を吐かれたそうだ。
結局、轟は舞台の上でその曲が流れた時、ただ黙ってお辞儀をして、その場をしのいだ。

後年の彼女は太りやすい体質に悩まされていた。
母親役のオファーが多くなったのも、その大きく膨れだした体型にあった。

返信する

054 2016/03/28(月) 13:04:04 ID:N9ieVqlvak
高杉早苗

切れ長な目元、涼し気な笑顔が印象的。

4代目市川猿之助・香川照之の祖母。
戦前においてはトップクラスの美貌と謳われた。
高峰三枝子とは松竹映画「蛍の光」で競演以来の親友である。

三代目市川段四郎と結婚の際、梨園の妻としての仕事の為女優を引退したが
戦後の困窮期に致し方なく映画界復帰をした。
一見彼女には何の不満も無いように見えるが、自身最大のコンプレックスを抱えていた。
それは”鳩胸”だった。それもかなり大きかったらしい。
彼女自身、それを隠すためにさらしを巻いたり、着物を多用したりして防いでいたらしい。
デカ胸=バカ。が信じられていた時代の話である。
現代なら、トランジスタグラマー(古い?)とか云われて受けていたと思うのだが・・・

返信する

055 2016/03/28(月) 20:24:48 ID:N9ieVqlvak
原節子

20世紀における日本映画を代表する女優と評される。
彫の深い顔立ち。一目ドイツ人とのハーフではと云われたが実際は純日本産である。
デビュー当初はこの印象深い顔立ちが先行しての人気があった。
実力が追いつき出したのは、「青い山脈」「わが青春に悔いなし」「晩春」辺りだそうだが、
私としては基本大根だと思っている。
セリフ回しは抑揚などなくただただ平坦。表情もいつも同じ。
佐野周二と共演した「お嬢さん乾杯」でコメデイーに挑戦したが、只々ぎこちない演技に終始していて
原自身慣れない芝居だったことが分かる。

いわゆる異質な顔立ちで人気を得て、その顔立ち故にどこか浮いてしまっていることを痛感したのではないだろうか?
彼女の引退理由では「畳の上での演技ができなくなった」と自身語っているところから、やはりそうなのかもしれない。

ちなみに当時の映画雑誌では原節子の風貌について、その西洋風な顔立ちと相反してその横顔は非常に薄っぺらくそれ程魅力的では
無いと評している。

返信する

056 2016/04/23(土) 12:01:21 ID:eepvq9I1vQ
新珠三千代

返信する

057 2016/05/27(金) 12:47:30 ID:jvTCQGpv4M
岸 惠子

若い、とにかく若い。
普通、女性に対し若いと評するときは、結構年輪を重ねた人に対してである(学生相手に若いですねとは言わない)
つまり岸恵子に関してはいつもその表現が付いて回る程、若く見える。

松竹専属時には鶴田浩二と恋仲になり、鶴田が作ったプロダクション作品に出演する中
ヒット作品に恵まれスター女優の仲間入りを果たす。
結果、岸は鶴田にのめり込むが、松竹の猛反発を受けて悲恋に終わる。(鶴田は松竹を追われ
東映に移籍することになる)

岸の顔の特徴はその大きな瞳に面長な顔立ちにある。
彼女がいつも若々しく見えるのは髪形にあると思っている。
とにかく前髪のアップが少ない女優である。
女性に限らず男性でも額を隠すことで実年齢が見えなくなる効果がある。
彼女の場合、その面長な顔立ちが上手くマッチしただけと見るべきであろう。
「女の園」で高峰秀子と共演しているが、8歳も違う相手なのに、高峰の美貌がいかに際立っているかがはっきりと分かる。

ちなみに69歳の時、TBSドラマ「マリア」という作品で5姉妹の長女役を演じたが、父親役が森本レオ。妹役には、浅野温子、岡江久美子、菊川怜までは
まあギリギリいいかと思ったが(実際母親ぐらいの年齢差)、後藤真希と姉妹役にはさすがに引いた。

若く可愛くまさに現代的な美貌の持ち主であるのには間違いないが、花の時分を見誤った感があるのが実に残念だった。

返信する

058 2016/07/18(月) 18:30:06 ID:teopfsZsvM
解説が見事なスレだね

返信する

059 2016/07/19(火) 00:44:36 ID:NfLUm3GCGU
ひし美ゆり子 1

純日本産の美女。
丸みを帯びた輪郭に可愛い目元。今見ても古さをまったく感じさせない程の美しさを誇る。
現在50代、60代の男性たちの大半がテレビ画面に映る彼女を見て初恋に落ちたという声を聞く。
それが伝説の特撮作品「ウルトラセブン」
彼女はウルトラ警備隊友里アンヌ隊員としてお茶の間に登場した。

この作品における制作エピソードは有名故に割愛させていただくが、中でもあまり語られていない話の1つに
彼女にセリフの少なさについてだが、演技が全然できていないというのが一般的な話としてあるが、もう1つ、
あるのが、彼女の声にあった。

返信する

060 2016/07/19(火) 00:48:51 ID:NfLUm3GCGU
ひし美ゆり子 2

声の問題・・
それは可愛らしい顔立ちとは裏腹にかなりのハスキーボイスであることが原因としてあった。
全編通じて見ても作品によっては高低の幅が大きいのがわかる。
理由は酒。とにかく飲む。それも製作者サイドとの付き合いであるとか、撮影隊の打ち上げ会とかに呼ばれる度に
飲んだと云われている。つまりは宴会要員。付き合いの良さが問題になった。

彼女は1度降板させられているが、それが問題になったのは言うまでもない。
これはたぶん、、、、たぶん、ガセだろうとは思うが、彼女は色々な接待に利用されたらしいという話がある。
つまりは製作者サイドの幾人かは穴兄弟としていたという話は、今では誰も話さないガセネタとしてあった。

だが、まるでそれを裏付けるかのような出来事が続くのが1972年のプレイボーイに個人的に撮影したヌード写真が流出する形で
掲載されたのがきっかけで、東映お色気作品の出演や、成人映画の出演が続き、仁義なき戦いでもフルヌードを披露した。

自身の思い出としては、東映作品「高校生無頼控」。
追いかける大門正明の前にはフルヌードで走り回る笑顔の彼女の姿があった。
なぜか・・凄く悲しい気持ちしかなかった。

返信する

061 2016/07/19(火) 16:21:44 ID:NfLUm3GCGU
土田早苗

60年代における青春学園ドラマで活躍した。
この方も大阪豊中出身。この頃の美人女優には関西出身者が多い。
大きくて円らな瞳。そして大きな口元。
その爽やかな笑顔を見るにつれ、現代的な女性の美しさの象徴とさえ思える。
子役出身者ではあるが、その美貌は常に注目の的とされ、今現在も変わらぬ美しさを保っている。

同時期活躍した岡田可愛と雰囲気がよく似ている。
私自身も幼い頃、どっちがどうだったか分からなくなってよく間違えていた。

返信する

062 2016/08/18(木) 12:43:59 ID:00vCDaO4DY
>>38 黒柳徹子さんだってばよ!

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:73 KB 有効レス数:109 削除レス数:8





1960年代掲示板に戻る 全部 次100 最新50

スレッドタイトル:聞きしに勝る美貌。〜60年代

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)